Don Soker Contemporary Art で、壁面に展示された清野祥一の作品は、それがアメリカやヨーロッパのものに似ているときに、現代日本の作家による美的意図を、欧米人が簡単に読み間違えてしまい、深く考えることができないことを気付かせる。
 清野の作品によるこの小さな試みを見ると、手が加えられていない物質が十分な美的価値をもっているかという議論とともに現れたアメリカやヨーロッパの作品を思い出させる。しかし、清野は、それとは全く異なる、物質と形態の詩学を持っている。
 彼の最も抽象的な作品のいくつかは、シンプルで、謎めいた形態を示す。そして、それらは、私たちに馴染みのないセラミックカーボンの素材で作られている。このことは、作家の美的な意図を見えにくくしている。しかし、清野が目指した物質と形態の詩学を、私たちはそこに強く感じることができる。  いくつかの作品は、銘板のような形態がゆえに、哀愁を漂わしている。一見抽象的に見えるが、実は、いくつかのアルミニウムの板に、河口を撮影した写真をプリントした作品"Kakoh #1"(2000) を見るということの意味を、私たちは考えなければならない。

Kenneth Baker (San Francisco Chronicle)